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最終更新日20/12/20

コラム

コラム426

学校給食

    現在の小学校の学校給食献立を見ると私が小学生の頃とメニューが違います。

私の頃(昭和50年代)はパンが主食でしたが今はご飯が主食の様です。

当時、週に3日はパンでしたのでコッペパンか食パンにマーガリンの組み合わせが多く、ジャムやピーナッツが付くと喜んだ記憶があります。

パンに飽きてご飯やソフトメンの日が好きでした。今では揚げパンとかラーメンとかメニューが全然違うので時代を感じます・・・・・。

学校給食の献立が昔より立派になっている気がしますが、 食べ物の好き嫌いで給食が嫌いと言う話を家族から聞くのですが、私の場合は好き嫌いよりも給食の食べ残しを当時の担任が禁止していたので食べ切れないと残されてベランダで食べさせられるのが嫌でした。

時間割で給食後に一斉掃除なので掃除時間にベランダで食べさせられたり、オカズが残ると席の順番で強制お代わりさせられるので、そんなに量が食べられない子供だった自分にとっては最も嫌な時間でした。

当時は学校に行きたくない理由のトップになるほどでした・・・・。

今では強制的に給食を食べさせることはしないようですが私が当時(3、4年生)は 担任の体育会系のノリで強制させられていました。

当時は学校の先生の言う事が正しいような部分があって何かと強制させられたような記憶があります。

その為、食べ残しの給食のパンを机に隠したりして後で持ち帰ったりしていました。

食べないとならないと言う事では、私の嫌いなものにチーズがありましたがチーズは好きな人が多く貰ってくれるので助かった記憶があります。

また、チーズ以外に嫌いなものが給食メニューに余り出なかったので助かりましたが給食の食べきる事が強制させられていた所為かあまり楽しい時間では無かった記憶があります。

給食時間を気にしなくなったのは担任が変わった5、6年生になってからです。

3、4年の担任が嫌いではありませんでしたが給食時間に関しては嫌でしたね。

 

逆に学校給食で好きだったのは肝油が好きでした。

親から戦後の栄養不足の補給として肝油が配給されていた事を聞きましたが私の時代では栄養不足でも無いのに毎日肝油が1個付いてきたので甘いお菓子のイメージでしかありません。

夏休み用に一缶購入したオレンジ味の肝油を食べるのが好きで一日一個の食べ方はとても守れませんでした。

夏休み最後まで肝油が持ちませんでしたから(笑)

 

給食の費用である給食費も今より安くてひと月3000円台だった記憶があり、私の頃は毎月、茶封筒に給食費の集金を先生に提出していたと記憶していますが、帰りの集会時に集金がまだの人は出すように連絡されるだけでクラスの誰が提出していないのかは分かりませんでしたし、提出していない人の名前を聞いたことがありません。

給食を払える生活をしているのに払わない親が居る事がニュースになったりしますが小学生当時はそんな事がニュースになるとは思わなかったです。

全体的に小学生の給食は楽しい時間と言う認識はしておらず、あまり好きでは無かった記憶が残っていますが、当時の記憶を思い出すと冬にストーブで牛乳瓶を温めて飲んだりソフトメンをクラス全員分をまとめて鍋に入れてから配膳したりと楽しかった記憶が残って居たりもします。

学校では給食時間は今になって思えば貴重な時間だった部分もあると思います。

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