STE

最終更新日22/04/25

コラム

コラム442

普通の人

   職場を通じて人と接していると 様々な人が来るのですが結構個性が強い人も多く、会話でコミニケーションが伝わないような人もいます。

例えば、新人指導する側からは「普通の人」が入ってこないと言う話を聞くのですが、ここで言っている「普通の人」とは 「どんな人を言うのだろう?」と考えるようになりました。

私自身も職場で同じような事を言った経験がありますが、この頃、接してきた人達を振り返ると人それぞれに他人と違う面を持った人ばかりで良い面もあれば悪い面もある。

ただ、仕事なので意思の疎通が出来なかったり教育で教えた事が伝わって居なかったりと仕事スキルの適正以前にコミニケーションの段階で上手く話が伝わらない場合もあったりと職種によっては適性が関係する場合もあり性格以前にその人の仕事の上でも評価を判断するしかありません。

そう言う意味でトライアル期間(見習い)があるのでしょうが、その期間で適性判断できる場合とそうでない場合があるので何とも言えませんがこの制度は判断材料としては意味がないわけではないです。

この頃、それらの色んな人達を見ていると人当たりが上手でコミニケーションが取れる人が圧倒的に少ない気がします・・・・・そう感じるだけなのかもしれませんが・・・・・・。

これは会社での新入社員に限った話ではなく、元々居る社員もそれぞれに個性が強かったり なので「オールマイティな人」=「普通の人」と言う構図は実際にあまり居ないと思われます。

私自身も個が強い部分があり、「普通の人」と比べると変わっている部分に気づかれます。

それを一般に個性と呼んでいるとも言えます。

自分自身が無意識に使っていた「普通の人」と言う言葉は厳密には存在していない人を差していて、ある部分が濃い人とある部分が薄い人・・・100点の人と0点の人を足して割れば平均50点なので、この平均点の人を「普通の人」と言っているだけなのだろうと感じます。

そうすると各個人の個性を人の数だけ足して人数で割ったときの平均点のような人は現実には少なくてある部分が平均点より良いか悪いかの人間達が集まる事で、その中での平均値が平均点に見えるだけで一人一人は平均点の人間が集まっている訳ではないとこの頃思うようになりました。

そうすると性格などの個人の部分を制御出来た上で他人に接することができる人が大人なのですが、実際にはそこまで考えて話をしているような人は少ないので平均の人(普通の人)は少ない気がします。

人は性格の個の強さや性格の考え方などが人の数だけバラバラに存在するものなので、それらの他人と自分の違いを自分の価値観で計って他人を比較しているだけであり、そもそも自分の価値観が本当に正しいかも分からないに自分の定義を物差しとして使っている気が私はします。

私自身が「普通の人」で無いのに「普通の人」と職場で言っていること自体が自分自身の事を理解していない発言なのだな・・・・・とこの頃思うようになり自分自身の事は理解しているようで理解していない事を再認識させられました。

しかし、そもそも「普通の人」も裏を返せば「特徴のない人」になるので、個人の都合の良い解釈次第で幾らでも「普通の人」の定義は変わってしまう気もしますが・・・・・。。

コラムトップへ

inserted by FC2 system